ヨガ哲学の森の中で迷子になっていたけど、無事還ってこれました♡

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ヨガの哲学の学びを始めるようになったのは

わたしがヨガのインストラクターの資格を取ったのは2016年でした。

そこから、体のこと(ちょこっと解剖学みたいなこと)、ヨガのアーサナ(ポーズ)などなども勉強したり、ヨガのポーズのレッスンなどもしたりしていました。

なんとなく興味があること、ヨガっぽいこと、ヨガの先生なら知っておいた方がよさそうなこと…
などを勉強したり講座を受けたりしながら、

やっぱりわたしは体のことよりも心のことに興味があるな、
ポーズよりも哲学の勉強がしたいな、
と思い、

ヨガの哲学だけを深めるように、学んできました。

心ってどうなってるんだろう?
自分はどうして存在しているんだろう?

そんなことを不思議に思って、学生時代から心理学を学んできたのもあり、
ヨガの哲学や聖典を学ぶことは、難しいけどとても楽しくて、5年ほど続けてきました。

プライベートヨガ

ヨガの哲学の学びの中で迷子に

有名なヨガの経典「ヨーガスートラ」から、かなりマニアックなマルマヨーガ。
タントラ(密教的な)聖典であるシヴァサンヒター、ハタヨーガプラディピカー、ゲーランダサンヒター。
古代インドの言葉であるサンスクリット語や、インド哲学の歴史、ヨガがどう出来たか、など。

師と呼べる先生から、たくさんのことを学んできたように思います。

特に、タントラといういくつかの聖典の世界観がとても好きになりました。

それは、

あなたとわたし、自分と神さま、
そこに違いはなくて、
ほんとうは同じ、ひとつなんだよ〜

と伝えてくれているような教えです。

そして、それを実感するため、自分と神との合一のための、
実習や修行としての、ヨーガやマントラ(真言、お経みたいなもの)があったりします。

でも、学びを深めているうちに、だんだんと
「こうしないといけない」と、そんなヨーガ的な習慣に自分を縛っていたようにも感じます。

そもそも何でヨガをやっているんだったっけ?
何でマントラが好きなんだっけ?

そんな簡単な質問の、自分の今までの答えがしっくりこなくて
迷子になって彷徨っていました。

迷子になっちゃった理由

でも今なら、何で自分が迷子になって彷徨っていたのかがよく分かります。

わたしとあなた、自分と神さま
幸せ不幸、苦しい楽しい

そんな白と黒に分かれた世界じゃなくて、
出来事に「良い」「悪い」のラベルを貼った世界じゃなくて、

全ての出来事を平等に、プラスもマイナスもつけず
同じように大切にするような世界に魅力を感じていたのに、

その世界自体を、白と黒に分けた世界から見ていたからでした。

こうすれば「幸せ」になれる
これやってたらもっと「良く」なれる

自分と神さまをひとつにする世界を、
「良い」「悪い」の、ふたつに分かれた目で見ていたんですね。

そんな矛盾のなかに自分がいたから、
自分がどうしてヨガを学び深めているのか?
どうしてヨガが好きなのか

そんな簡単なこともわからなくなっていました。

ヨガをとおして本当に知りたかったこと

たとえるなら、
わたしはオセロの白を増やす方法とか、
ゲームに勝つ方法を知りたかったわけじゃないのに

頑張ってゲームを攻略する世界の中に取り込まれてしまっていたようです。

わたしが本当に知りたかったことは、
自分が無意識のうちにオセロというゲームをしていたこと、
そして、そのオセロはやってもやらなくてもどっちでもいいということ。

勝つ必要もなければ、そもそも戦う必要もないという真理。

そんなことを知りたかったんだ。

それをこころから理解するために、今まで心理学やヨガや哲学も、
勉強してきたのを想い出すことができました。

そうなったわたしは、
毎日マントラを唱えても唱えなくてもいいし
アーサナやってもやらなくてもいいし
瞑想してもしなくてもいい。

もう何かをしなくても、わたしは神さまと一つで、
もう幸せで、もう必要なものは手元にあって、
もう守られて、愛されているんだなと思います。
 

そうなったわたしが、こころからやりたいことは何かな?
どんな習慣が残るのかな?
そんなわたしに伝えられることは、なにかな??

そんなことを感じつつ、少し見えてきているような気がします♡

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